【決戦前夜】桜庭和志×青木真也 12.29 RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX2015
LIFE IS NOT EASY BUT LIFE IS NOT BAD.
8年前、六本木で行われた華々しい会見とともに「PRIDE」という格闘技イベントが消滅した。そこは最強を決める場所だった。それ故に物語が生まれた。世界中の強さへ憧れる者の目が、そのリングへと注がれ、いつしか世界最高の格闘技イベントと言われるようになった。それが幻想の光のなかで消え、霧となった光はアメリカへ向かいPRIDEのリングを向いていた世界の目は、そのまま「UFC」へと移った。さいたまの台風は過ぎ、風は止み、凪の時代がやってきた。取り残されて空を見上げた。空は青かったが、波風のない闘争の場は、とても退屈だった。
そして今年の10月8日、同じくその六本木で「RIZIN」の発表記者会見が開かれた。そこから早3ヶ月弱、全カードが出揃い、試合順も決まった。今回RIZINが落とすこの雫が波紋で消えるか、それとも嵐となるか、語るのはまだ早い。このイベントを『RIZIN』にするのにはそれなりの年月が必要となるし、道は険しく、向かい合わなければいけない相手は強大だ。
だけども、その雫の中にひとつだけ、向き合っておかなくてはいけない試合がある。
―桜庭和志 対 青木真也。
RIZINの一番最初に発表されたカード。PRIDEをPRIDEにした桜庭和志と現在ONE FCでライト級のベルトを巻く青木真也の一騎打ち。
公開記者会見前、もしRIZINに桜庭が出るなら、そして榊原代表ならその桜庭の相手として青木を組むんじゃないかと、格闘技ファンなら真っ先に想像したカードである。そして現実として榊原代表が一発目に組んだカード。
本当にやるのか??高まり続ける鼓動を落ち着かせながら、記者会見を見た。そして2人が現れた。予想はしていた。今の日本の格闘技界の状況を考えれば十分有り得るだろう、そう思ってもいた。だが実際にそのカードが現実となると、途端に榊原代表が憎らしくなった。
鬼畜である。笑顔の中に鬼がいる。両手を広げて高々と格闘技のNEW CHAPTERの始まりですと謳いながら、最も戦い続けてきた日本の2人に、まずはお前ら潰し合えと命じる。
人身御供か?人柱にするつもりなのか??だって、一体、、どうしろというのだ。どんな心情でこの試合を見ろと・・・イライラしながら、シカメ面になりながら、耳の奥に音が聞こえているのにも気付いていた。風が起きている。癪に障る。ざわめき立っている。癪に障る。鼓動が落ち着かない。胸の内に波風が立っている。空が青くない。そこにあるのは圧倒的な勝負のコントラスト。あまりに重い『勝者』と『敗者』。美しさは情とは違う場所にいる。それが美しいと震えてしまっている人間はただ打ちのめされるしか無い。
自分は桜庭和志のストーカーである。ずっと桜庭和志を見続けてきた。多くのモノをもらってきた。幾度も震えさせてもらった。何があっても見続けると決めて生きてきた。
青木真也も好きだ。青木真也は自分を着飾らない。常に剥き出しの言葉や態度は時に関係者や観ている者をも容赦なく襲う。“同じ”と“違う”がそのまま“良い”と“悪い”になってしまう時代。違いが許せない今の社会では、盾よりも槍を持っている人のほうが多い。着飾らないから青木真也には嘘がない。嘘がないから青木真也はよくその批判の槍の的になる。近年インターネットが見せてくれた人間の卑屈さは、人の素直さに反応する。だけど本人はそれも受け止める。自分に嘘がなく、無理がない。他人や何かに依存しない。全て自分に返って来ることをわかっているから、たとえ槍で傷ついたとしてもブレることはない。
誰かのために戦わず、家族のためにも戦わない。戦うのは全て自分のためだと言い切る。
かつては「DREAM」というジャンルを背負おうともした。イベントの大黒柱になろうとした。過酷な試合数、対アメリカ、そしてDREAM消滅、苦しみ抜いた末に「青木真也」として立った。それが今の青木だ。
UFCに行かないことを批判され続けてきた。かつてのPRIDEがそうであったように現在はUFCが紛れも無く世界最強を決める場所となっている。青木の寝技がUFCで通用するのか?格闘技ファンはそこで戦う青木真也を想像した。だけど青木はアジアの格闘技団体ONE FCを選択。契約面やUFC一択しかない現在の格闘技界の状況、ジャンルの中でスペシャルな存在として立つ、青木真也を考えればそれが青木真也だとごく自然に落ち着くが、最強を決める場所に“行けるのに行かない”青木真也に、ファンをジレンマを抱いた。
「青木は逃げた」スカされたファンの反動はそんな言葉になった。
だが、自分の目にはそんな様には到底見えなかった。青木がトップを目指すのを諦めたようには到底見えない。むしろ逆で、いつか来る大勝負に備えているように見えた。博打ではなく、勝負をするための準備。その為のアジアチャンピオンの地位、そしてそれは現在でも自分がトップどころにいるという自負にもなる。それが今の「格闘家 青木真也」を成り立たせている。
そんな中で決まった桜庭和志との一戦。
青木真也は言う。
「自分がやってきたことが彼と比べて劣っているとは思わない」
「彼のほうが時代に味方された」
「彼が留守にしている間、追い込まれた日々を送ってきた。研鑽する日々を送ってきた。その差は間違いなく出る」
「MMAは裏切られる。新日本プロレスはハッピーエンドで帰してくれる。ハッピーエンドでは帰れない」
「留守にしてきた奴にやられることはない」
“彼”、“奴”そこには辛辣な言葉が並ぶ。だが、青木真也の桜庭和志へのリスペクトは格闘技ファンなら知っている。ここに並ぶ言葉は『対戦相手』への青木真也の言葉である。予想通り、いや、かつては桜井“マッハ”速人を前に「つまるところはオヤジ狩り」といった男である、もっと攻撃的な言葉が飛び出してくるかとも思っていた。
―憧れの男を、愛で殺す。
青木が桜庭を倒し、新時代の格闘技が始まる。それが運営側が示すこの試合への見方。
当然、青木真也は負けられない。
負ければ、青木真也のアイデンティティは崩れ去る。前述の言葉からも伝わる自尊心、築き上げてきた『青木真也』が揺らぐ。
だが、桜庭和志も負けられない。
青木に負ければ、「もう」や「やっぱり」で桜庭への言葉は埋め尽くされ、その言葉は『引退』の2文字へ集約される。
自分は桜庭和志のストーカーである。青木真也も好きだ。ここまで書いた想いに嘘はない。だからこそ、この真剣勝負に自分は桜庭和志の側に立つ。予防線は張らない。負けた時は自分も負ける。
この勝負、勝つのは桜庭和志だ。
青木真也はこの試合が決まった一番最初にこう言った。
「マットの上にあるのは現実」だ、と。
そのとおりだと思う。そして、現実とは何だ?年齢差?それとも青木が言うようにここ数年の互いのMMAの差だろうか??
自分はもっと単純なモノだと思う。想いではなく、心ではなく、強さを決めるリングの中で、勝敗を分けるのはもっとシュールなモノ。この2人の勝負を決めるのは、お互いの“極めの強さ”の差だと思う。それは青木が言う桜庭がMMAから離れていた時間の差ではなく、もっと長い間、お互いのやってきたことの差である。
自分より重い相手を極めてきた桜庭と同階級の相手を極めてきた青木。その極めの強さの差が、今回のリングの中で出る現実。
桜庭側に立った人間の希望的観測なのかもしれない。正直、年齢による不安要素は拭い切れない。桜庭がどこまでコンディションを持ってこれるかもわからない。
不安は上げたらキリがない。
そこは信じるしかない。
だけど、そんな気が本気でしているのも事実だ。
どっちが勝っても、どっちが負けても苦しく、辛い。
だから、冷静に、フラットに少し離れて見ることも出来る。そうじゃなかった時、傷を浅くする方法はいくらでもある。
だけど、たとえば挑戦している人に対して「どうせ」とか、出た結果に対して「やっぱり」とか、そんな言葉を簡単に言えてしまう【何もしていない人】にはならないために、全力で桜庭和志を信じ、応援する。
それが自分のこの試合との向き合い方。
2015年12月29日。
この試合の結末に、何が見える。何が残る。
―真剣勝負。
勝者は生きる。敗者は死ぬ。
決戦前夜として書き始めていたら、もうその日になっていた。
もうすぐ、夜が明ける。。。
平成27年12月29日 Nicotina Menthole
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