電王戦FINAL第5局 阿久津主税 vs AWAKE(覚醒) 2015.4.11

―真剣勝負。

阿久津主税が守ったモノと巨瀬亮一が貫いて欲しかったモノ。

2015年4月11日、東京将棋会館。電王戦FINAL最終第5局。

先手 阿久津主税八段 対 後手 AWAKE(巨瀬亮一)

プロ棋士側、開発者側、共に2勝2敗で向かえた人間対コンピューター最後の真剣勝負。


「ここで投了します」

対局開始から僅か49分。21手目、後手2八角から先手1六香をもっての後手投了宣言。

「まで21手を持ちまして阿久津八段の勝ちとなりました」読み上げの室谷女流が粛々と終局を告げる。

大盤解説会場の六本木ニコファーレではざわめきが起こった。

「え!?え、、ちょっと待ってください、、え?」

登壇していた聞き手の藤田女流が慌てる。解説者の森内九段、藤井九段、もう一人の聞き手の香川女流王将も何が起こったのか状況が理解できないでいた。まだ番組開始から1時間、解説会場の説明をしているところだった。

終局直後のインタビュー、開発者の巨瀬さんは記者の方を見ず、顔を隠すように目の前のパソコン画面を見ながら質問に答えた。それは一見、大人げない態度に見えた。しかし、僅かに見えるその横顔からは、その時の本人の心情が伝わってくるようだった。きっと見れなかったのだろう。怒り?困惑?落胆?失望?自分が今、どんな顔をしているのか、巨瀬さん自身もわからなかったのかもしれない。

「(阿久津主税八段が)本当に△2八角を指してくるかっていうのはなんとも・・・。指しづらいんじゃないかと思っていました。既にアマチュアの方が指されていた形なので、プロとしてはやりづらいんじゃないかと思っていました」

最終局のPV。元奨励会員の巨瀬さんとそこを抜けてプロになった阿久津八段。プロを諦め一度将棋に打ちのめされた男が、そこにあった無数の想いを超えてプロとなった男に自分が作った将棋プログラムで挑む。場所は将棋の本丸、東京将棋会館。

ドラマがあった。物語があった。人生が交錯する。生き様が衝突する。勝者が一人。敗者が一人。

そして真剣勝負はこういう勝負の時によく、こういう勝負の時にこそ、その真剣さを、その残酷さを見ているものにただただ、見せ付ける。


時間は本対局より1ヶ月半程前に遡る―。

「電王『AWAKE』に勝てたら100万円!」これは電王戦関連イベントの一つとしてニコニコが行ったアマチュアとAWAKEとの対局イベントである。そのイベントの中で、一名だけAWAKEに勝利したアマチュアの方がいた。その方が指した戦法はわざと自陣に隙を作り2八の地点に角を打たせてその角を捕獲、あるいは殺してしまうという将棋の世界では一種のハメ手と言われる種類の戦法であった。コンピューター将棋の世界では割りと知られている戦法のようで、AWAKEに限らず一手一手、局面ごとに評価、検討、探索していく思考のコンピューター将棋ソフトであればハマる可能性の有る手である。

そして今回、阿久津八段が対局で採用した戦法もこれと同じAWAKEに2八角を打たせるように誘う戦法であった―。

電王戦はプロ棋士に、対局の約3ヶ月前からソフトの事前貸出がされていて、その練習対局でプロがどこまで研究してくるか、あるいは研究しつくせるかが一つの見処となっている。(今回のFINALではその研究をしている5人の棋士の模様を、毎日5分程度のドキュメンタリー動画としてアップする「電王戦FINALへの道」という企画も実施された)

終局後のインタビューでは阿久津八段は事前貸出後、3日程でAWAKEが2八角と打って来ることがあることに気づいたと答えていた。また阿久津八段にはAWAKEとアマチュアとのイベント対局で、その弱点が出てしまうのではないかという懸念もあったようだ。

以下は髙見泰地5段のツイートである。

【電王戦は衝撃の結末でしたが、勝負の鍵となったのは間違いなく△28角でしょう。ニコ生企画「AWAKEに勝てたら100万円!」の1日目で現れた形で、私が解説でした。その企画について、阿久津先生はAWAKEの弱点が本番前に出現してしまうのを懸念されていました。(高見)】

【番組終了後すぐにメールをくださり、「弱点バレちゃってたね。貸し出してもらって数局指したら(△28角は)すぐに気付いたんだけど。マネって言われるのも…」と葛藤されていました。それから一ヶ月、両者の苦悩については想像を絶します。阿久津先生、巨瀬さん、本当にお疲れさまでした。(高見)】

まさに阿久津八段の危惧は的中しAWAKEのひとつの弱点がイベントで露呈した形となった。開発者の巨瀬さんはこの時はじめてその弱点に気づいた。しかしこの時点ですでに、巨瀬さんには本番までにどうすることも出来なかった。電王戦のレギュレーションではソフトの開発者は、事前貸出後ソフトには一切手を入れられないことになっている。つまり貸出後バグや弱点が見つかっても開発者は修正出来ないのだ。

巨瀬さんの中にこの弱点がどれほどの不安材料としてあったかはわからない。だが多分、その展開にはならないだろうと、巨瀬さんはどこかで信じていたのではないだろうか。それが、自分がかつて目指し、憧れたプロ棋士の姿だったから。


しかし、阿久津八段はこの戦法を選択した。

プロになった男が見せたプロの姿は、置かれた状況の中で最も勝つ確率の高い手を指す、「勝利」それ以外のモノは全て削ぎ落としたプロの姿だった。そこには甘えも、矜持も、理想も、憧れも、もしかしたら阿久津八段本人すらも入る隙間はなかった。

夢の世界で生きるには想像を絶する痛みが伴う。勝った負けたを繰り返し、切り刻み切り刻まれ、血を流しながら戦い続けるしかない世界。前期の記憶。プロになって15年、初めて阿久津八段は順位戦A級に昇格した。たった10人しか在籍できない名人位挑戦者を決める棋界最高峰の戦いA級リーグ戦。辿り着いたトップ棋士達との戦い、結果は全敗だった。9戦9敗、わずか1期でB級1組へ陥落。勝利の価値も敗北の意味も、わかり過ぎるほどわかっていた。

3勝2敗で終えればメディアの記事は「プロの勝ち越し」「プロ棋士側の勝利」の見出しが踊る。しかしどれだけの熱戦を繰り広げようと、プロの矜持を見せつけようとも、負ければ圧倒的多数の人間に、「棋士は負けた」と記憶されるのだ。

もしこれが団体戦ではなかったら、もし2対2のタイでむかえた大将戦ではなかったら、一個人の戦いだとしたら、勝負の「if」はそれが真剣勝負であったことを教えてくれる。

真剣勝負だからこそ、想いが交わらないことがある。

プロ棋士の代表として勝つための最善手を指したプロ棋士。

負けるのなら将棋で負けたかった元奨励会員のプログラム開発者。


最終局の記者会見は対局した5人のプロ棋士、開発者、㈱ドワンゴの川上会長、将棋連盟の谷川会長が出席して行われた。

「プロ棋士自身がプロ棋士の存在意義を脅かしているのではないか」

記者会見で改めて巨瀬さんはそう発言した。電王戦が始まって将棋ソフトが台頭し、プロ棋士の存在を脅かすと常々言われてきた。しかし今日の将棋はプロ棋士自らが、プロ棋士の存在意義を捨ててしまっているじゃないかと悲痛な表情が訴えていた。悔しそうにも見えた。

「盤上の最善手を追求するのが棋士の尊さだが、なぜそれが残念なのか?なぜ棋士の存在意義を脅かすのか?棋士はどうあらねばならないのか?」

記者からの質問である。巨瀬さんの答え、

「単純に、今日の将棋を見て面白いと思ったか、というのが1つある。プロは勝たなきゃいけないのは確かだが、面白いと思ってもらわないことには、今後将棋界が生き残っていくのは大変なんじゃないか。今日の指し方はそれを否定する指し方だと思いました」

阿久津八段、

「見て楽しい将棋が一番。だが、今回の電王戦を戦うにあたって、事前にソフトを貸し出していただけるということなので、出来る限り勝率が上がっていく形を検証した。他の戦型でも、貸し出していただいているルールの中で最善を尽くそうと思って、今回の作戦を選んだ」

10人いれば10人の勝負論があり、正しさを決める方法もない。画面のコメントも賛否両論、多様な言葉が右から左へと流れていた。

注目したいのは、将棋における盤上の最善手とは何か?ということである。

勝ちへ繋がる最善の一手、将棋の奥深さを追求する一手、どちらかと言われたら多くの人が前者を選ぶだろう。

今日の阿久津八段は間違いなく、立派だった。試合にも勝負にも勝っているはずだ。

それなのになぜ、こんなにも虚しく、切ないのだろうか?

これを選択した阿久津八段のどれほどの葛藤、どれほどの勇気、決断力。それなのになぜ?

電王戦FINAL第2局、永瀬六段に見たあの身震いするほどのプロの勝負師の凄みが、なぜ今日は感じられないのだろう?苦しさしか、見えないのだろう?

人間対コンピューター。その勝負の結末としてはアリであったのだろう。興行としては成功とも言えるかかも知れない。そして将棋は、何処に行ってしまったのだろう?

どこまで行っても消えない、ハメ手だから、アマチュアが指した手だから、ではなく、「あれ」が本気でプロ棋士が将棋でコンピューターと向き合った時の「最善」なのか?という思い。

将棋の対局と同時に人間とコンピューターの対決。理解し楽しんでおきながらファンはいつだって勝手で、苦しさも辛さも、大変さも感じながら、それでも尚、『棋士』として立ってくれと願う。


電王戦の生みの親、前将棋連盟会長の故米長邦雄永世棋聖が残した言葉。

「観ている人がつまらないと感じる将棋になった時に人間が勝つ。そうではない時は人間が負かされる」

そして、真剣勝負は常に問いかけて来る。

「おまえにはどう見えた?」

「おまえならどうする?」

と・・・。

平成27年4月12日 Nicotina Menthole


追記・・・電王戦&電王トーナメントを見終わった雑感

コンピューター同士の将棋は宇宙戦争だった。駒たちはスペースインベーダーとなって盤上の宇宙で戦いを繰り広げる。一方、長く続く人間同士の将棋は、現世に現存する侍と侍の一対一の真剣勝負だと思っている。駒は刀であり、文字通りの切るか切られるか。ならば、人間対コンピューターの将棋は侍対インベーダーの戦いとなる。構図としては面白い。それは格好良く侍が勝つ姿も想像したくなる。だがどう考えても分は悪い。一侍と個を数えたら、相手は何人なのか想像もつかない。無理ゲー、そう言いたくもなる。

勝てない相手の前に立つ。その背中に、その戦いに何を見るか。

これは長く続く戦ではない。成立すらしていない。

刀を置き、インベーダーとの戦い方を模索する者。

一心不乱に刀を振り、己が歩いてきた道を信ずる者。

勝敗が決した荒野にはインベーダー達が浮遊している。彼等はそれがどんな勝負だったのかを知らない。誰を撃ち落としたのかも知らない。始めから、敵ですらない。


武士道とは死ぬことと見つけたり。

死んだ先の世界で、それでも尚、立つ。

『人であること』そして『棋士であること』

それさえ捨てなければ、『道』は消えない。

そう信じたい。。。

平成27年4月15日 Nicotina Menthole

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